20周年前のめり特設サイト「WE ARE VANA'DIEL」は、更新のたびに毎回楽しくクリッククリックしています。
特に私が楽しんでいるのは、プロデューサーセッションで、どの回も本当に面白くて濃密でいいなぁ!と思っております。
齊藤陽介さんとのセッションのパート4で、松井さんが、FF11のオフライン版を作る可能性について問われて、
「僕が『FFXI』で大事にしていたものと、プレイヤーの皆さんがおもしろいと思っていた部分は違う可能性のほうが高いと思います。ですから、プレイヤーが望むものはいったん置いておいて、「自分が考える『FFXI』を作れ」という話であれば、それはそれで楽しそうだなとは思いますが……という感じの距離感です。」
と答えていたのが、すごく印象的でした。
松井さんというクリエイターについて、私は何かを語れるような人間ではもちろんないのですけれど、FF11を遊んでいて感じるのは、芸術家としての熱くて硬い核を、経験や知性や温厚さが形成した優しく冷静な部分がくるみこんでいる、変なたとえですけど果物の桃みたいなイメージです。
アンバス2章の、バランスが整っているがゆえに全然ラクに勝たせてくれない、ある意味では情け容赦のない戦闘のデザインを見ていると、ゲームルールのデザイナーとしての松井さんは、プレイヤーに媚びない甘えない見くびらない、信頼だけを投げていくストロングスタイルで、私はそういうところがすごく好きです。
私にとって、FF11というのは、MMORPGであると同時に、歴代から今に至る開発陣の皆様が育んだ「芸術」としての側面がすごく強くて、逆に言えばそれがなかったら、どんなに楽しいプレイヤーに恵まれたとしてもこれまで遊んでこなかったと思います。
プレイヤーがいなければFF11は完成しないというのは本当にそうですけれど、それでもやはり、プレイヤーだけがいてもFF11はそもそも存在することができないのですから。
なので、私が開発の皆様に望むのは、何よりもまず第一に「開発している人たちが、作っていて楽しい!とワクワクしてもらうこと」で、プレイヤーの要望に応えるとかは実は次点だったりします。
もちろん、その結果自分が遊びたいと思わないゲームになってしまうという可能性はあるし、そうなったら静かに引退してしまうでしょうけれど、そのこと自体は別に悪いとは思いません。
けれどもし、私の希望が全部かなった「さとみんのかんがえた かっこいいさいきょうの えふえふ11」が作られたとしても、それが開発している皆様の心からのモチベーションによるものではなくて、お客様のご要望にお応えしたのでという流れで作られたものだとしたら、それは悪いことだと思うし結局は興味を失ってしまいそうです。
そういう私にとっては、「松井さんが考える『FFXI』を詰め込んだオフラインFFXI」は、かなり見てみたい作品。
ただ、それを松井さん自身が「プレイヤーが望むものはいったん置いて」「プレイヤーが面白いと思った部分は違う」と分析しているので、世に出る可能性は低いのでしょう。個人的にはとても残念ですけれど。
そういう風に自分の作りたいものと、色々なレベルで他人が求めてくるものに違いがあることを、冷静に認めていく強さはすごいと思います。才能ある人ほど、それは辛い裂け目として迫ってくるものなので。
もちろんそれは同時に、「自分が作りたいものというベクトルがなくても、優れた作品を作ることができる」という別の意味の凄まじさを示すエピソードでもあります。
田中弘道さんが松井さんを次のプロデューサーとして指名したのも、そういうクリエイターとしての熱い核を包む色々な要素を持っているからなのかなぁ、と部外者の素人は勝手に想像したりします。
そして、FF11をいつまでもどこまでも続けて欲しいと心から願う一方で、田中さんの言う「松井ファンタジー」を見たいという気持ちも感じます。
アンバス2章という、ある意味「やりたい人だけやればいい」というコンテンツの場は、これからも松井さんのワガママなクリエイター魂を発散させる場としてずっと続けて欲しいし、クリアできようとできまいと、私はそれをプレイし続けるのではないかと思っております。