2018年10月24日

テオドール幻想

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 ハデスは絶望し、オーグストは去り、モリマーは帰る。

「この作品の○○は、現実世界の××がモデルなんだよ!」「な、なんだってー!!」的なメタ読みは、特にリアルタイムで創作されている現代作品の場合、どうしても作品や表現自体というよりも、受け手側の状況に左右されてしまう(端的に言えば、解釈してる人間の自分語りになる)ので、難しいです。
 結局のところ、作品を語っていると見せかけて己のシャウトをカッコよく見せる(しかも「オレの意見ではなくこの作品のテーマなのだ」という責任回避付き)ことになりがちなので、まぁ居酒屋の与太話を出るものにはなかなかならないですね。少なくとも私の能力では。

 という言い訳を最前列に盾に置いて、アドゥリンミッションのラストについてちょっとメタ読み語りを(笑)。




 もぎヴァナやイベント中継動画のなんかで、田中弘道さんが出てくるとよく「テオドール!」とコメントが弾幕になります。以前、田中さんが病気療養されていて顔色があまりよくない時代があったのと、顔立ちが何となく似ている感じがするので、そういうあだな?になったのだと思いますが(笑)。
 ゲーム好きで、ひょうひょうとしているけど実は強くて重要人物、という人物描写も、どことなく田中さんをイメージさせるところがあって、これは実際にストーリー製作時に意識されたものなのだろうか?と気になりますね。
 そしてテオドールという人物が、最後にはオーグストとともにヴァナ・ディールを去るという結末も、今にして見ると、いろいろなことを示唆しているような妄想がわいてしまいます。

 テオドールの存在は、アドゥリンの魔境が発表されたヴァナフェスですでにチラ見せされているので、すごく初期から重要キャラクターとして設定されているのは間違いありません。
 とはいえアドゥリンミッションの結末(と、重要NPCたちの行く末)はどの時点で決まったのかは定かではないですし、上記の妄想は、十中八九、ただの妄想です(笑)。
 そもそも、田中さんの退職はヴァナフェスで発表はされましたけど、その直前まで一部のスタッフしか情報を知らず、松井さんですら一週間くらい前に知った(そしてプロデューサーを任された)という話なので。(*1)

*1「『FFXI』松井プロデューサー×浜村ファミ通グループ代表対談〜渡されたバトンとヴァナ・ディールの未来」で触れられてる話

★★★

 で、そういう訳でただの妄想なのは間違いないのですが、テオドールが田中さんを意識している、という妄想に砂上の楼閣をさらに継いでいくと、アドゥリンミッションの結末というのは「ポスト田中時代を作り上げていく」という宣言のように見えてきます。
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 FF11というゲームは、MMORPGであると同時に、FFシリーズの正統ナンバリングという存在でもあって、背負っているものは田中さんに留まらない大きな「FF」というブランドでもあります。それはそれこそ、オーグストのような重みで。
 初代王という、偉大な、そしてただ偉大なだけでなく今もなお現役に力を振るっている存在があって、その思いを受け継ぎながらも、あえてその遺言を破っていくという選択をする。そういう子孫が、これから新しい時代を作っていかなくてはならないのだと、希望とともにこれからの苦難を覚悟する。
 アドゥリンミッションはそういう、ハッピーエンドではあるけれど、すごく重さのある、ある種の苦しさすらも感じる結末であって、エンディングテーマのForever Todayがどこか寂しさを帯びているのはそのせいなのかと思います。

★★★

 よく田中さんが「もうFF11なんてやめて新しいの作りなよ」と軽口を叩く話が出て、先日の電撃夏祭りオフ会2018ではその真意についてオポネ菊池さんが説明してましたが、田中さんは「FFという存在が、クリエイターの才能と人生を呪縛しているのではないか」という危惧を常に抱いているように感じられます。
 オーグストとテオドールが、ヴァナにはもはや戻らず、ハデスとともにタルタロスに去る決意をするのは、過去の蓄積と再生産に、これ以上縛られないでほしい、そこに未来はもうないのだからという悲痛な叫びです。
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 けれど、アシェラも、そしてユグナスも、もちろん冒険者も、オーグストやテオドール、そしてアドゥリンという存在を否定するのではなく、そして彼らの再生産でもなく、オーダーサインを継承しつつも「道標のない新しい道を進んでいく」という第三の道を選ぶ。
 私達は、もう過去の蓄積には戻れないけれど、古くて新しいヴァナ・ディールをこれからも作っていくよ。それは苦難かも知れないけど、決して呪いや縛りではなくて、挑戦と開拓なんだ。
 そしてモリマーという古き存在は、去ることなくヴァナに戻って、冒険者を見守ってくれる。古き良きものがただ更新されるのではなくずっと息づいていくということでもあるのだと。
 そういうメッセージを、勝手に私は感じてしまうのです。ほんとに、勝手な私の妄想なんですけど。

★★★

 まぁこういう、テオドールを田中おじさまに見立てたメタ読み話なのですが、そういう流れでオマケをつけるなら、ハデスは誰なんだ(笑)という話ですけど。ハデスは特定の誰かとか人物とかではなくて、もっと広い、コンシューマゲームとかMMORPGとかそういうところ全体にただよう空気感が析出したものじゃないかなーと思ってます。
 時代はスマホだよ、ガチャじゃなきゃ儲からないよ、エロを入れないと売れないよ、今のゲーマーはソロで手軽にすぐできるコンテンツじゃないとついてこれないよ、etc.etc...
 誰が言っているのかも、真実なのかも定かではない、なんとなくただよう「空気」。それに取り憑かれると、ハデスになってしまうのかなと。
 というか、FFって伝統的に、究極の敵は個人ではなくて「概念」ですよね。人が生み出したのだけど人が逆にそれに支配されている形なきものと戦うのが、FFシリーズでは締めくくりの戦闘になってる気がする。ハデスはストレートに、「もうFF11みたいなゲームはオワコンだよ」というある種の絶望感(笑)が人間になった存在なんじゃないかと。

 そしてそのハデスが、単純に滅ぼされるのではなく、封印されるのみというのは、そういう危機感や絶望感というのはただ否定すればいいものではなくて、どこかにそれを持ち続けて己に問い続けなければいけないのだ、ということなのかなーと。
 そもそも、「今のゲームじゃだめだ!もっと新しい何かを作り出したい!」という気持ちこそが、新たなコンテンツを生み出していくのだから。ハデスみたいな気持ちが、FFを作り出したはずなんだよ。テオドールが「出会った当時の胸の内に輝く思い出の光を消し去ることはできない」ように。

 と、まぁ、ここまでくると、妄想の上に砂上の楼閣を立ててさらに屋上屋を架したみたいな感じになってますけどね!(笑)
 以上、全て私の勝手な妄想ひとり語りなので、あまりお気になさらず! ここまで辛抱してくださった方はありがとうございました!
posted by さとみん at 13:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感
この記事へのコメント
素晴らしい考察だったと思います。

面白い!

巷の妄想話も個性的で面白いですが、さとみんさんのお話はより筋が通っていて、読み応えがあります。

古い伝統をどうするか、というのがアドゥリンの大きなテーマでしたが、単純にそれを打破するのが良いというお話ではなく、しっかりとした目で真実を確かめて、未来へ繋がる方法をきちんと考えようという、面白いお話でした。

それがFFブランドに対する思いから来ているという考察は、十分ありそうな話です。

またハデスや他シリーズのラスボスは、人間のニヒリズムを体現しているというのも、まさにその通りですね。「絶望」という死に至る病、生気のない思考そのもの、それを打破することで人間は成長し、円満な解決が生まれる。

私個人の考えも入ってますが……でも、おおむねさとみんさんの考えに納得しました!
Posted by ふもー at 2018年10月25日 10:04
>ふもーさん
お褒め頂き恐縮です。てれてれ。
「古代の王の遺言が現代の国家の運営を縛り……」みたいなテーマの話は、割とゲームでもおなじみなんですが、大抵の場合そういうのって「古代の遺言なんて迷信だったよ」とか「そんなのはもう古いよ」みたいな単純な否定になりがちなところ、「古代の王様はほんとにいて、言ってることは正しくて、しかも今も現役最強なんだけど、どうする?」というアドゥリンの流れは新鮮で面白かった。
どうしてそうなったのかなーと考えた時、今も現役でバリバリに売られてる過去ナンバリングのあるFFシリーズというものが、ちょっと自分の中で重なったところがあります(笑)。
考察としては全然甘くて、ほんと妄想レベルの話なんですけど、楽しんでいただけたのなら嬉しいです。
Posted by さとみん at 2018年10月26日 09:52
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