2019年11月21日

願い事をするなら気をつけろ、叶うかも知れないから

dulmel.jpg
 暴れ馬のたてがみに必死にしがみついてる感。
 歩いてるとダルメルの首がぐらんぐらんするような気がする(笑)。

 ダイバージェンスがしんどいというフォーラムの話題を読んでいたらあれこれ考えてしまって、考えをまとめようと書いていたら、なんかもうダイバー関係のない無闇な長文の一人語りになってしまったので、この先の文章はそういうのを読んでも時間の無駄だと思わない人だけが読めばいいと思います、すみません……。
 簡単にまとめると、タイトルの通りです。願い事をするなら気をつけろ、叶うかも知れないから。これ、ことわざだと思うんですが出典が思い出せないですよね。どなたかご存知だったら教えてください。



★★★

 フォーラムでダイバージェンスがしんどい、いやしんどくない、という話が出ていて、自分の場合を色々考えていました。
 私にとって、今のヴァナで一番「疲労度」が高いコンテンツは、実はアンバスケード1章とてむずです。終わる時は割とへとへとになっています(笑)。
 アンバス1章とてむずに比べれば、ダイバージェンスとかそよ風みたいです。超気楽です。ケアルワークも楽な方に感じます。全滅とか全然気になりません。むしろ全滅は裏の華・醍醐味だと思っているので、「やってきました!」とテンションが上がります。全滅しないと「何かが足りない……」とか感じるくらいです。(ぇー

 もちろん、疲労度と面白さはまた別の軸なので、1章とてむずは疲れるからやりたくない、ではなく、疲れるけど楽しいです。
 しんどくてやりたくない、というものをどうしても挙げるなら、「金策のためだけにやるもの」全般で、たとえば換金目的でエミネンス稼ぎをするのもやりたくないのでやりません。最近は余ったエミネンスをアケロンシールドにすること自体やめてしまった……(全部レムに)。
 仮に時給が数百万数千万だったとしても、金策のためだけのことはやりたくありません。そうしないといけなくなるなら、ギル稼ぎしないと叶わないことの方をあきらめるタイプ。なのでカルンウェナンもエスカッションも亀の進みな訳ですけど。

★★★

 アンバス1章とてむずが私にとってしんどいのは、ギリギリのパフォーマンスを全員が求められる6人パーティで、時間が最大でも30分しかなく、ワンミスで崩壊したら最初からやり直し、そして野良パーティが多い……などの理由です。
 アンバス1章は、あまり途中で立て直すことを想定しないコンテンツだなと思っています。スムーズに15分以下でクリアするか、崩れたらやり直すか、どちらかで中間がないというか。途中にミスをあまり許容しない、ギチギチの作り込みをしているコンテンツで、そういう意味ではちょっとFF14に似ている気がします。
 純粋に好みだけで言えば断然2章の方が好きなのも、そのせいでしょうね。

 それに比べると、ダイバージェンスは比較的人数が多く、時間も長く、場所も広めで、そもそもコンテンツの設計の段階で全滅することも織り込み済みだと感じるので、ミスしても取り返す余地が大きくて、非常に気楽に感じます。
 なので、2時間プレイでしんどいなぁとはあまり思いません。
 アンバス1章とてむずを1時間やるのと、ダイバーを2時間やるのとなら、アンバスの方が断然疲れます。「時間の長さ」だけでコンテンツの疲労度は計りにくいですね。

★★★

 さらにここに、一緒に遊ぶ人の性質や、そもそも誰かと恒常的に一緒に遊ぶのか否かという問題が絡みます。
 FF11は、報酬分配や参加システムの構築自体がプレイヤーに委ねられていて、そこが大きな魅力です。
 システム側でそういうのを固定すれば、全員がその中で最適解を求めて利己的に立ち回り、そこからこぼれた人はひたすらシステムに怨嗟を溜め込むことになります。それをプレイヤー側でカバーできるようなシステム設計をする余地があるのは、すごくありがたいことで、それぞれのグループの目的に沿ってシステムを組んでいければ、とても豊かで幸せな時間を過ごすことができます。

 ただそれって、要は人間関係を取り回す努力ということでもあるので、しんどいことでもあります。
 グループである程度の意思統一をしたり、どういう優先順位をつけるかを決めたり、こぼれたメンバーを気遣ったり、苦労している人をねぎらったり、そういうのがめんどいからオレは仮想空間で遊んでるんだよおおおおおお!と思い始めると、呼び出しも解雇も自由自在のフェイスと2アカがいればいい……とヴォルトオスクーロ化する訳で。
 特に主催の負担を減らすために、システム上で報酬分配や参加システムを構築してほしいというのは、定期的に見かける要望なので、やはりそこが大変な人は多かろうなと思います。

★★★

 私が気になるのは、そういう要望をしている人が、そういうシステムを組んだ時に起こる変容を、ちゃんと理解し覚悟しているのだろうかということです。
 上述しましたが、システム上でそういうことを固定すれば主催の負担は減りますが、人間はそういうその枠を与えられると、フリーライドできる最適解をごく自然に短時間で見つけ出します。これは人格の問題ではなくて、「そういう風に頭が働く」ように人間はできているので、避けようのないことです。そしてシステムは人間よりもはるかに融通が効かず、変更にコストがかかるので、その最適解で起こる反作用をリカバーするのはかなり大変になります。

 こう書くと、私がそういうシステムを組むなと言っているように勘違いされそうですが、そういう訳ではありません。
 単に「どんなやり方でも反作用が起こる」「いいところだけつまみ食いすることはできない」ので、今のやり方を変えればまた違う問題が出てきて違うコストがかかることは、わかっているんだろうか?ということです。
 システムが変わったら、今享受しているいいところは全部確保したまま、問題だけが解決するのだという夢を見ているのだとすれば、割と危険だなと思います。

 FF11は、何だかんだと言って、大多数のプレイヤーが望む方向に変わっていく歴史を繰り返してきました。そうでなければ17年も継続していけないので、当然のことではあります。
 昔は昔のしんどさがあり、それはしんどいから変えてくれと望み、それが本当に叶った結果、別の問題が出てくる。その別の問題について、今度はまたしんどいから変えてくれと望む。その繰り返し。「こんなはずじゃなかった」というのも、それは実はよく見てみると自分が望んだことの結果であるものです。

★★★

 私が今のFF11で楽しく遊んでいられるのは、自分の楽しさがどういう基準で決まるのかを明確に理解していて、優先順位をつけることにためらいがないからだろうと思います。
 その結果、ギルが稼げない(笑)とか人気の流行コンテンツに参加できず報酬が得られない(笑)とか、割と巨大なデメリットも喰らっているのですが、そこに不幸はありません。

 たぶん、私はとてもわがままにFF11を遊んでいる人間なのでしょう。
 極端な話、私は自分の基準で楽しさが全然なくなったと思ったら、何の恨みも未練もなくFF11をやめてしまえると思います。そうならないFF11であってほしいという願いは、全く勝手な個人の感情としてありますけど。
 私にとって、FF11は、日々自由な選択の中で、楽しいこともつらいことも自分で選んで引き受ける、希有な世界です。そしてそれが続くだろうという希望と信頼を抱いているので、私は幸せなのだと思います。
posted by さとみん at 12:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感
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