
67%が今年の到達点。
2020年もあとわずかとなり……SFエスカッションが完成できないことが確定しました(笑)。今年の最大の目標だったのに!
まぁ、完全に己の能力不足と言うか、自分のせいなので仕方ありません。もっと必死に金策して時間を投入してがんばるべきであった、としか言い様がない。
来年になったら0に戻ってしまう訳でもないので、とりあえず来年早々の完成を目指して(笑)目標を積み直して頑張ります。
今年の振り返り的なことは、また明日にでもエントリしようと思っていますが、最近思っていることについて、やや暗く感じられるかも知れないことを、ちょっとだらだら書いてみます。本当にだらだらした文章なので、折りたたみにて(笑)。
★★★
私の中には、ヴァナ・ディール・プロジェクトが発表された夜のあのしんとした感覚が未だに残っていて、多分そのために、「FF11が明日にはなくなってるかもしれない」ということを、いつもうっすらと感じているような気がします。
今年、身内に不幸があって、自分にとって大きなパーツがすーっと消えてしまうという体験をしたこともあるのですが、みんなが100%頑張って最善を尽くしても、誰も悪くなくて誰も望んでいなかったとしても、なくなってしまうということはあるのだという、頭と理屈では理解していたことが、腹落ちするレベルでしみこんだというか。
仮に、FF11が元気にあと数十年続いてくれたとしても、私の方の認知力や身体が何らかの事情で機能低下し、遊べなくなる可能性だって、まぁ普通にある訳ですし。
今の私は本当に、ヴァナにログインして普通に遊べる、それこそが望外の幸せであって、これ以上の改善みたいなものをあんまり望んでいません。
開発運営の皆様には、もう本当に感謝感激しかなく、120%の信頼を置いているので、色々と繰り出してくれる新しい試みを体験するのは幸福以外の何物でもなく。
そういう意味では、あんまりフィードバックとしてはあてにならないんだろうか……とは思ったりもしますが。
けれど、松井さん藤戸さんはじめとするスタッフの皆様の超人的な頑張りにより、FF11は未だ続いている、に留まらず、新しいことが次々と生まれる活力ある世界として盛り上がっています。
18年の間に、ユーザーコミュニティは移り変わり、定番のユーザーサイトや「神プレイヤー」の名前は川の流れのように変化していっています。キリンといえば空ではなくタロンギ峡谷だった私も、CL???のコンテンツにその気になれば参加できる身の上になりました。初めてtellをして一緒にパーティを組んだフレンドさんが、ウェルカムバックで舞い戻って、一緒にダイバーに行ったりしていると、時が流れているような不変のような、不思議な感覚をおぼえます。
とはいえ、大半のプレイヤーが望むものは、18年前はおろか、5年前とも、比較にならない高レベル高次元のものになりつつあります。
誰もがエンドコンテンツに行って、エンドコンテンツのドロップ品を現実的な確率で入手できることを希望していますし、一方では「全てやり尽くしてやりたいことがない」ヘヴィプレイヤーもいます。多くのプレイヤーが、22あるジョブの過半数以上を、あらゆるシチュエーションに対応できる最高の状態で使うことを望んでいますし、そのために求めるストレージも読み込み速度も、プレイヤー同士が要求するプレイヤースキルも、際限なく拡大しています。
一方で、ヴァナを支える根幹のシステムは、20年前から稼動している古強者です。
不可能を可能にしてきた古強者のシステムは、本当に伝説的な存在で、われわれは不死の神を相手に要求できるような錯覚に陥りますが、そうやって対応していた存在が(人であれ、システムであれ)ある日ぱったりと倒れて滅びていくのを私はたくさん見てきました。
私にとって、ヴァナは代替性のない、本当にかけがえのない世界なので、私がヴァナに望むことは、何よりも安定性であり継続性です。
ストレージが増えなくても新しいコンテンツがなくてもかまわない、ただひたすらに、私が生きてゲームを遊べる限り続いていてほしい。それが私の何よりわがままと自覚している願いです。
でもそれは、恐らく大半のプレイヤーの願いとはかけ離れたもので、私のフィードバックを参考にすると結局は継続できないことになる、というのもわかって、います。
★★★
話は変わりますが、私は中学高校の頃に、本当にささやかながら、囲碁をプレイしていました。一応、全国大会の団体戦にちらっと出たことくらいはあるんですよ。今はもう衰えているので、全然プレイできませんが。
囲碁の世界は、ヴァナとは比較にならないくらい、本当に100%実力の、己の実力しかない、世界で、そのシビアさに比べると、FF11のいわゆる「きついこと」の大半は、私にはきつく感じられません。運や絆や人脈や貯蓄可能資源で、自分のその瞬間の実力以上のことができる余地があるというのは、ラク……というのともちょっと違いますが、ストレスが少ないなと感じます。
なので、私は、自分が勝てないコンテンツがあり入手不可能なアイテムがあるということについて、全くと言っていいほどネガティブな感情がありません。もちろん悔しいなとか、くっそー!なんだよあのタイミングの特殊技ムカツク!みたいなことはあるんですが(笑)、できなかった時に「あ、これが自分の限界なんだな」と割り切ってしまう精神構造になっているようです。
そういう人間にとって、今のヴァナは、かなり労力と能力と報酬の釣り合いがバランスがとれている世界に感じます。
でもねぇ。たぶん、そういうバランスがとれてる状態って、現代に生きる人間にはストレスフルなんですよね。
自分の限界を思い知らされるなんて、現実だけでまっぴらじゃないですか。ヴァナ世界でくらい、用意されているコンテンツ全部で無双して、いい気になりたい訳で。特に今の社会は、ものみなすべてストレスの中で精神的余裕を食いつぶして生き延びているので、ゲーム内のストレスに対する寛容さはすごく低くなっているような気がします。
とはいえ、「誰でも無双できる」とわかっている世界で無双しても喜びはない訳で、今のヴァナには、「"自分だけが無双できる"という承認欲求への錯覚」を生じさせることが求められている気がします。
割と露骨に他プレイヤーの実入りが可視化されてしまう今のSNS全盛のヴァナで、その錯覚を生成維持するのは、ぶっちゃけとてもきつい作業ではないかと思うのですが。
★★★
そして、私が今年一番、ある意味「きつかった」ことは、動画関係の比重が非常に多かったことかも知れません(笑)。
これはコロナによるニューノーマルとは関係なく、ここ数年、ゲーム関係のコンテンツの多くが動画配信という形で製作されるようになってきて、攻略「本」とか「記事」が減ってきたことのしんどさです。
もう完全に私一人の都合なのですけど、私は動画を観るというのが本当に苦手で、実は実生活でもドラマや映画やアニメをほとんど観ません。自分のペースで享受できないコンテンツが、基本的に不得手なのだと思います。
まぁ、もぎヴァナだけは奇跡的にとても楽しく観ていますけど(笑)逆に言えばFF11関係の動画に対するエネルギーはもぎヴァナで全消費されていて、それ以外の動画を見る余裕がありません。
でも、えみりんもZangetuさんもKittyさんも、有名なユーザーサイトも、もはや基本的にみんな動画ベースになりつつあって、なので全然追いかけられなくなりました。
今や私は、ヴァナの趨勢から完全に取り残され、醴泉島の祠に封印されたイロハちゃんのごとき状態でプレイしているような気がします……(笑)。
★★★
そんなことをつらつら考えていた2020年でした。
なんか暗い感じになっていますけど、もう本当に毎日、私はヴァナにワクワクドキドキ(死語)しながらログインしていて、エンブリオが気になって気になってしょうがない状態です。
明日は、そんな明るい話のエントリを書いて締めくくるつもりです(笑)。
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